お金のこと

Saymeの社会人3年目から1500万円貯蓄までのお金の歴史Part7

2001年のテロ以降、およそ3年ほどは勢いがあり、毎日がとても忙しく
子供もプライマリースクールに通っていたので、
帰りに迎えに行くことも難しく、
例えばお友達のお母さんがピアノの先生なら、そこの子と一緒にそこの家に行き、
ピアノのレッスンが終わって私が迎えに行ける時間まで
一緒に宿題をしたり、
バレエ教室に一緒に通う子がいればそこの子と一緒に連れて行ってもらう、
その他タップダンス、バイオリンなど習い事は安くたくさんあったので、
興味のあるものはほとんどNOと言わず通ってもらいました。

決して教育ママではなく、本人がやりたいことだけですけど(笑)

9月から新学期
そこから12月~1月の夏休み(南半球なので)
4月の秋休み そして長期の期末休み6月~8月・・

その間は、
こちらで言う林間学校?
YMCA主催の学童保育のようなものだったり、
キャンプだったり・・お金は多少かかりますが
学校の宿題も見てくれたり、好きなことをして過ごしたり
などなど・・

そのころはほぼ母子家庭になっていたので、とっても助かりました。

そうです・・
そのころから夫婦関係はうまくいっていませんでした。

少し、前のダンナさんのお話をします。

そのころのダンナさんはもともと料理人です。

日本ではなかなか独立して開業というと
大きな資金が要ります。
そして、中途半端で失敗してしまうと莫大な借金を背負う場合もあります。

海外で雇われて、そこから自分のお店を独立して出して、わりと成功したように
思ったころ、今度はいろいろな出資者と知り合いになります。

レストランのノウハウはない、そして料理の経験もないという
日本である程度成功したお金持ちの人だったり、
もともと商社に勤めていたころに海外の魅力にとりつかれて
リタイヤしてから移住してきたお金持ちの人など・・

そんな人たちにうまく利用されることが多くなってきました。

最初の立ち上げの時に
共同出資をしませんか?と言われるのです。
もちろん、出資するほどまとまったお金はありません。
お金持ちの人は自分がお金を出す代わりに
前のダンナさんには
現地での立ち上げのノウハウや、人材、繋がりなどを
出資の代わりに求めてきます。

軌道に乗って利益が上がるまではそこのお店の面倒を見ます。

自分の店で
苦労して育ててビザを取ってやった若い人をそこのヘッドシェフにし、
あるいはマネージャーとして出し、

自分の店にはまたワーキングホリデーで来た人を新たに雇って
育てますが、それよりも出資した別な店の方に
手をかけることが多くなり、当然自分の店の評判が落ちてきます。

そして、軌道に乗って儲かるようになったそちらの店に
ある日突然切られます・・。
このようなことが4,5年の間に数回起きました。

その間、評判が落ちた自分の店の売り上げは減り、

ローンを組んだ私たちの家の返済と生活費として入れてもらうべきお金は
無く、そんな時期が1年、2年と過ぎて行きました。

私の方のビジネスが上手くいっていたので、
そんなにしつこくお金のことを言わなかったのですが
次第にそれが当たり前になってきたときにたまに口にすると
怒鳴られたり、無視されたり、
しまいには日本出張で新しいバッグを購入しても
嫌味を言われるようになり・・・

もう出て行ってもらおうと思いました。

結局簡単に言うと離婚です。

ただ、日本と違って離婚届を出すことで成立ではなく、
お互いの弁護士を通じて、まず、離婚しますと宣言後、
別居をしてから2年は成立しないという法律でしたので

その間、娘を行き来させたりなど大変でした。
しかも・・・

財産は公平に半分ずつ・・というのが法律にあり、

彼は赤字。私は黒字。
家は折半・・・という非常に不利な状況だったので、

子供の養育費などを請求するのか、
家を折半せず全部もらって、養育費を請求しないのか?など
弁護士さんにアドバイスをもらったいろんな策を練らなければなりませんでした。

結果、
会社の利益などはお互いのことを干渉せず、
家は折半。
養育費は毎年話し合い、最初の年だけ 家を売ったお金の配分を
1年分の養育費を含めた分だけ私に多く。
そして、親権は私が取るということで折り合いが付きました。

ということで、
3000万円ほどで購入した家は約4年ほどで3500万円ほどで売却。
養育費を含めて約2000万ほどは私がもらいました。

新しい車と新しく住み始める家の頭金で全部使い、
4000万円ほどの家を購入したので
ローン残高は2000万円になりました。

ちなみに、
養育費は2年目からの支払いは全くありませんでしたし
話し合いの場も無く、彼は娘には合わせろの一点張りでした。

日曜日は私の家の前に娘を迎えに来て、
無言の電話。

娘はその車で夕方まで出かけます。

私は日曜日の仕事が忙しいので
一緒に過ごせず辛かったですが仕方ありません。

夕方家に娘が帰ってきてその日は終わり。

そんな生活が2年ほど続きました。

やっぱりそうなるか・・と思いましたが
それよりも仕事で利益を出すことで
そんな面倒な話は要らないと思うようにし、
それ以降も請求することはありませんでした。