Saymeの心の闇

Saymeのルーツ【母が大嫌い】な理由すべてお伝えします!その4

雪だるま式の大嫌い

母のことを
ずっと疎ましく感じているのに
機会があるたびに
またひどい言葉を投げかけられる

この繰り返しを大きなローテーションで
繰り返すいうことが
独り立ちしてから今の今まで続いています。

あのまま海外にいることができれば良かったけど、
結局、会社も家も処分、前夫も処分((笑))して
日本に帰ることになって、

その後、

父が他界しました。

何も心配するなと言っていた父がいなくなった後、

父の役割すべてが
親戚及び弟から
私へ投げつけられました。

認知症の始まり

父の他界の前、

2回目のがんが宣告されてからの
1年半くらい、

母はそのあたりから、

片づけもできなくなってきていました。

着物をタンスから出し、広げて
仕舞うことなく次から次へ出して
全部出し続けたり、

冷蔵庫の中に同じものがびっくりするほど入っていたり・・

たまに父の見舞いで実家に帰るたびに感じていました。

父母が移り住んでいた祖父母の実家
(もう大好きなおばあちゃんは亡くなったので)の親戚たちは
弟も含めて、母の認知がどんどんひどくなっていってるのに
全く気付いていませんでした。

(祖父母の家に移り住んだことを面白く思っていないから
知らんふりしとこうと思っていた
親戚たちもいると思いましたけど)

父の余命があとわずかのころ、
病院の先生からそういう連絡が来て
娘と2人で行った時のことです。

行ってから帰るまで
食事の支度は一切できず、
すべて私がやっていましたが、

晩御飯が終わり、娘が寝室に行ったときに、
母と私で久々に飲もうとなり、

母が
ビールを飲んで、
トイレから戻ってきたとき、

急にそわそわと私の顔を見て、

「どちら様ですか?」と言いました。

ふざけてるのかと思って

私は自分の名前を言いました。

すると、

「私の娘は隣の部屋で寝ていますが
あなたはどちら様ですか?」

ともう一度話しかけられました。

仕方がないので、娘を起こして、
事情を話し、
「おばあちゃん、もう寝よう」と言って
一緒に布団を敷き、寝かせたら

翌朝はすっかり忘れて
元通りになっていましたが

私と娘はもう普通に生活はさせられないなと
はっきり感じ取りました。

誰が看るの??

そこから、1年以上経って
ようやく検査を受けて
認知症を告げられたようですが

おそらく亡くなる前の父も
わかっていたはずです。

父が亡くなった時には
もうお金の計算も、自分の財産も
何もわかっていませんでした。

後になってから

財産と言えば古い祖父母の家(引き継いだ母の名義)と
父が貯めていた母のお葬式代くらいしかない
ことがわかりました。

親戚中から
その家から出て行ってほしい。
その家は売ってくれるなと
詰め寄られ、

しかも老後の面倒をみてくれると
言っていた母の妹は
鬼のように母を追い出したがっていて
結局今はその人が祖父母の家に住んでいます。

母は、結局周りの親戚みんなに疎まれていて
それを盾になって守っていたのは父だったのです。

父が亡くなって
一番大好きな息子(弟)は
嫁さんの思うままに操られ
(弟の家で世話になって欲しかったけど嫁に大反対された)

結局、巡り巡って

私が面倒を見る羽目に。

このあたりのお話はぐちゃぐちゃで
時間もかかりそうなので、いずれということに
しますね。

なんで私???

それにしても・・・

なんで 愛されもせず いじめられて育てられて
ボケたあの人の面倒を私が看なくてはいけないのか

泣けてきます

あんな人間には 絶対になりたくない
だけが 私の心情です。

ところが、

私の家族
ダンナは最近、
私がだんだん似てきたと言います。

体型や仕草は親子だから仕方ないですが

性格やボケ方・・は言われると
腹が立ちます。

でも、
「素直に認めろ」と。

こんな過去の話も
知らないくせに
認めろと言われると余計腹が立ちます。

ほんとに気が狂いそうなくらい
認めたくなくて大げんかに発展することもあります。

なので、

親の話はできるだけしないようにしています。

でも、

父が亡くなり、実家から
弟の家には行けず、一番近い私が面倒を見なければいけなかったので
今は近くの施設にいます。

その5へ続く