いやー、大嫌いな理由を思い出すって
身体によくないですね・・・(笑)
でも、どんどん思い出すので
このまま続けます。
その1では ようやく短大を卒業して
実家から出ての憧れの1人暮らしへ・・・
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若さでカバー
さて、『お金が無い』の呪文をそのまま引きずりながら
1人暮らしのための準備をしなければなりません。
でも、自由になりたい一心でしたから、
怖いものは何もありません。
寝る部屋と食事だけは
子どもの権利を守って、
あとはひたすらバイト(^^)
飲食店も魅力でしたが
もともと大好きな音楽に
どっぷり浸かっての
レコード、CDなどのショップと
楽器屋さんのバイトを1週間の半々で。
及び、
夜のバイト(ピアノ演奏ですよ・・)
を週3で。
ピアノ演奏は2時間ごとに
20分・・と時間が決まっているのですが
それ以外に
お金持ちのおじさんの隣に座ってお酌も・・
高級なお店だったので、変な人はいなくて
ラッキーでしたね。
その方がお金もいっぱいくれましたし・・(笑)
籠から脱出成功!!でもゴールではない?
できるだけ資金をためて
採用試験を受けに行く段階からの飛行機代、
(札幌ー大阪 往復)
引っ越し代、敷金礼金
再び飛行機代(再度札幌ー大阪)などと
最初の給料が出るまでの生活費。
すべて自分で稼いだものから出しました。
1円も助けてもらいたくなかったので。
それっきり一緒には住んでいません。
母は自分の過去の言動のせいで
娘が家を出て一人暮らしをしているんだと
いうことは全く理解していませんでした。
私が実家に戻ることはほとんどなかったけど
時々、母から電話がかかってきて
「あんたは好きなことできていいね」と
うらやむことばかり。
ほんとに大嫌いだから
話したくないんですけど・・
そう思いながら、我慢限界まで
話をして、
限界が来てもマイナス発言をされることも
多かったので、
こちらから切る・・・
そして、しばらくかかってこない・・
この繰り返しでした。
なぜか、嫌な思いだけさせるために
絶妙なタイミングで電話がかかってくるものですね。
今ならLINEで既読スルーもできるけど・・・
最初は京都から大阪へ通っていましたが
だんだん大阪の友人も増え、
飲み会も多くなり、
自由な暮らし満喫、それでも
大阪へ引っ越すことにしました。
通勤時間も短くなり、
自由な時間がどんどんできてきます。
学生時代に取れなかった
中型2輪のバイクの免許を取り、
250CCのバイクを買って通勤ができるようになり、
車の免許も取って行動範囲も広がり・・・
哀れな母は
またまた電話で
「免許が取れていいね。
私も取りたい・・でもお父さんがダメっていうから・・
私だって運転したい・・」
(心の声:あ、また人のせいにしてる・・・
いいじゃん、お父さん、好きなところに連れて行ってくれるし・・)
「あんたは本当に自由でいいね。
好きなことして、好きなように生きて
あんたみたいな性格に生まれたかったわ・・
人の言うこと聞かずに自由に生きたかったわ、あんたみたいに・・」
(心の声:やればいいじゃん、できるものなら。)
私の人生だからね。
しかも20代前半。
やりたいようにやって何が悪い?
迷惑かけてないし・・・
もっと離れたい!地球の裏側まで
さて、
そこから、5年半で
私は外国に住むことになり、
結婚も出産も経験し、
電話は国際電話なので、
日本からは かけづらくて
もっともっと母から遠いところに身を置くことになります。
でも・・・
その3へ続く