母が「大嫌い」です
簡単に言うと
昔から・・
そして今でも 母が「大嫌い」です。
「大嫌い」の一言で済ませてきましたが
掘り下げて書こうと思うと、
やはり、考えるだけでも
今でもとてもイライラしてきます。
要するに逃げていました。
今日はこの部分をしっかり書いてみようと思います。
生まれて物心がついた頃
まるで、ヒナ鳥が目が開いて最初に見たものがお母さん!
のようなことで、
どんな子でも、最初はお母さんが一番大好きな存在のはずです。
私は、子供らしい子供の見た目とは裏腹に
頭の中が冷静で老けていたというか・・
こう言ったら親はこう返すべきというような
ことを考える子供でした。
母はそんなことには全く気付かず、
なのに、まだ小さい子供の私に
対等(?)同レベル(?)でひどいことを言ったりしていました。
うどんぶちまけ事件
例えば
確か4歳のころです。
高熱を出して幼稚園を休んで寝ていた時、
アツアツのうどんを私が布団で起き上がって
座り込んでいる上に
ぶちかましたのです。
(おそらく布団に躓いた?)
太ももの部分に火傷を負い、大泣きしました。
母は冷静に、「大したことない」と言いながら
汚れた布団の方を必死に拭いていました。
パジャマを脱ぐと
右の太ももの内側がベロンと皮が剥けてしまい
びっくりしました。
あの光景は忘れられません。
なのに、一度も謝らず、
薬もくれませんでした。
もと看護師で、薬局をやっていたのに・・です。
そのとき、一番最初に
この人、私のこと好きじゃないんだな・・と
思いました。
だんだん成長していく時にも
この人は絶対、私には謝ったりしない人
という認識を日に日に確実なものに
していきました。
更に言うと、親が娘の成長を喜ぶという感情よりも
羨ましいという嫉妬しかしてくれませんでした。
小学校1年の時
弟が生まれました。
難産で産まれた後も頭の閉じるべき骨が閉まらず
しばらく入院。
私は父と長い間(半年くらい?)
二人で生活しました。
それがきっかけなのか、
私は自分で何でもできる子になってしまい、
更にしっかりした子になりました。
母は弟が健康的に生まれてくれなかったことを
自分を責め、私をも責めました。
精神的な理由からか
母乳が出なくなったことさえ、
「あんたが飲みすぎたせいで出なくなったんだ」
とまで言われました。
ふざけて言うような感じではなく
本当に憎々しげに言われたのを
今でも覚えています。
6歳の娘にそんなこと、言います?
大人になってから
「そんなこと言われたよ」と言っても
覚えていませんし、そんなこと言ってないとまで
開き直り、更には
「あんた、執念深い」で片づけられました。
人が傷ついた話とか
どうでもいいんですよね。
今となっては
認知症も進んでしまい、
何を言っても覚えていない
(自分の都合の悪いことは全部忘れている)
小学2年の時、
母の弟(私の叔父)が交通事故で亡くなりました。
遠足から帰ってきて、台所で
泣いていた母を
慰めるつもりで
担任の先生の言葉で自分が元気が出る言葉を
思い出して一所懸命言って慰めてみました。
その時の母の言葉
「あんたにわかるわけない!
自分の弟、死んでないし!!」
って言われました。
その時、
もし、同じ状況で
私が自分の娘に慰められたら
こんな言い方は絶対にしない!
むしろ感謝する
と心に誓ったのを覚えています。
褒められたかったわけでもありません。
少しでも元気づけたかっただけなのに・
この時は大嫌いと思うより
自分は嫌われているんだな・・と
思う程度でした。
母は弟のことは溺愛していました。
私と年齢が6年も離れていたので
話も合わず、
私を慕ってどこにでもついてくる弟が
小学校4年にもなると
疎ましく、
友達の家にもついてくるのが恥ずかしいし嫌で
何度か連れて行くのは嫌と言ったこともあります。
でも、
家は商売(個人の薬局)をしていて弟を
見る暇がないとの理由で、連れて行けと。
ほんとに嫌でした。
でも弟のことは可愛くて仕方なかったようです。
普通の家庭でも
母親と息子って相性がいい家が多いですよね。
母親と娘が友達のような親子、というのも
最近は多いでしょうが、
もう少し古い、昔の考えの親は
ダメです。
しかも、親が子供の様にわがままを押し付ける家はダメですね。
私のことは目の敵でした。
「嫌い」が「大嫌い」になったきっかけ
他にも数々ありますが、
「嫌い」が
「大嫌い」になっきっかけを1つ。
私が小学校5年生くらいの頃です。
その当時、弟と私は2段ベッドで寝ていました。
弟が下、私が上でした。
ある夜、母が部屋に入ってきました。
私も寝ていましたが、
母がハシゴに上ってきて
私の様子を見に来て、
(その時点で目が覚めていたのですが
なんとなくじっと寝たふりをしていました)
頬を、ぱしっと(軽く)されました。
?
?ん?と思いましたが
すぐにいなくなると思い、
それでも気づかず寝たふりをしていました。
右の頬をパシっ
次は左の頬をパシっ
何度もです。
しかも、だんだんキツくなってきたのです。
だんだんものすごく悲しい気持ちになり、
泣きだしました。
「なんでそんなことするの?」
その時の母の言葉
「起きてたん?
いやー、いつ気づくかなと思って・・
泣かんでいいやん、
ふざけてただけ」
と、けらけら笑いながら
出ていきました。
はあ??
もう、はっきり
やっぱり嫌われていると思いました。
思春期、勝手に部屋に入ってきて
聞いてる音楽をけなしたり
自分が好きな
(いや、本当はあまり詳しくもなかったですが)
音楽の方がいいとか・・
こちらの領域にずかずかと入ってくるのも本当に嫌でした。
日記の中身を勝手に見て、
書き方について、
言われたこともあります。
最低!!一生許さない!!と思いました。
お金が無い、お金が無い、お金が無い という呪文
中学、高校、大学
進学のことに
親が口を出すのは仕方のないことですが
その程度が度を越えていました。
家は先ほども言うように商売(薬局)でしたが
父がいいと思うような習い事、などは
いろいろさせられたし、
決して貧乏ではありませんでしたが
母の口から出る愚痴や私に対する進学のことや
その他すべて、
お金が無い、お金が無い、お金が無い・・・
の言葉ばかり。
呪文のように私に染みこんでいきました。
親戚の話に及んで
父の妹家族など
自分より羽振りがいいと、すぐに「〇〇ちゃんの家は
嫌い!儲かってていいよね」など
よく私に対して好き嫌いをいう人でした。
私が同調しないと、イライラして
あんたの叔母さんだから肩持ってるんでしょと
攻撃されました。
話の道理がめちゃくちゃです。
進学についてもそうでした。
じゃ、高校卒業したら進学やめて家を出て働くと言うと、
それは世間体が✖ということのようで
短大に行きなさい。
行くなら短大ではなく4年生に行きたいと言うと
お金が無いからそれは無理。
いやそれなら高卒でいい・・→ダメ
この堂々巡り。
もっときちんと
どうして4年制はダメなのか。
払えないなら
どうして短大はいいのか。
などきちんと説明してほしかったです。
結局望みどおりに短大に進みました。
でも結局、弟はちゃんと進学させてもらって
25歳まで実家住まい。
そうか、私にはお金が出せなかったのね、気持ちの問題。
ようやく大人になって自立できるようになったとき、
すぐに家を出ました。
その時は父の大反対にあい
激しい親子喧嘩もしましたけど・・
とにかく
できるだけ遠いところにと思って
飛び出しました。
長くなってきましたので
その2へ続く・・