お金のこと

Saymeの社会人3年目から1500万円貯蓄までのお金の歴史Part9

書き続けていて、
だいぶん自分の頭の中も整理できてきましたが、
これはお金の歴史だけではなく、人生の歴史ですね。(笑)

一日の睡眠以外のほぼ全部を会社の運営にまつわることに費やしているのです。

そうなりますよね。

自分で会社を興して収入を得て、
家族を養い、家を買い、自分の会社をさらに育てる・・
ような感じですね。

会社とは生き物だと思います。

私の場合、借金はなく、
ただし、全くのゼロからの出発(資金も0)だったので、
マイナスの心配がありませんでした。

テロの影響もあり、規模がどんどん大きくなって
今度は安定させるために
オフィスを広げたりスタッフを増やしたり

次はそれを減らさないように
更に業務内容を拡大して広げていく

水の上の方では優雅そうにみえる白鳥も
水面下では足をばたばた動かし続けているような・・

そのうち、
立替ができなかったりで
(お金の)流れが止まってしまったりすると
だんだん自分の貯えから資金を回していくようになり、

この時の場合は
2週間ほどの滞在や、ワーキングホリデーなどの
社会経験のあるお客様が多かったので
少額のサポートだったもの
(1人当たりの請求をして入ってくる前に
立て替える分の金額にすると20万円ほど)が

2年、3年などの長期留学の費用や
ビザの申請費用、及び、残高証明のための入金など
(1年以上生活できるかどうかの生活費の名目)
1人当たり 200万円ほどに
跳ね上がってしまったのです。

提携先の社長に交渉し、半分を前払い。
到着後に残額をし払ってもらうように
頼みました。

最初の1年ほどはそれでなんとかやっていました。

が、

エージェントにこの話をもちかけた大元の出版社が
このエージェントを子会社にしてしまったのです。

以前の社長がコントロールできることが
できなくなってしまい、

振り込みがストップしました。

そこから・・・

悪夢のようなことが続いて・・

会社はその出版社に乗っ取られてしまいました。

そうです。
こんなことが自分の身に起きるのだと
改めて思い知りました。

自分の体の調子が悪くなってきて、
娘と(ワンコもいましたが)2人で

夜中、娘が寝てしまってから
私の脳動脈瘤が破裂したらどうしよう。。。

朝、娘が起きて、私に話しかけても返事がなかったら
救急車を呼んでもらうには・・

などなど心配なことばかり頭を巡って、とうとう
眠れなくなってしましました。

そうすると、血圧も上がり、悪循環です。

このころのことを娘に話すと
未だに覚えています。

救急車呼ぶには『911』
次にリュックに荷物を入れて自分の父親に電話をかける・・

そんなことを、私は毎日娘に言っていたようです。

会社を誰か信用のおける人に譲渡して、
スタッフたちをそのまま雇い続けてもらって、

家も売り、
娘を連れて日本に帰国しよう・・・

と思うようになりました。

大きな決め手は、そのころ、いろいろと相談していた
脳ドックの時にも手配してくれた

20代の頃の彼・・現在の夫です。

彼は✖2
私は✖1

「もう、娘も私も全部ひっくるめて面倒見たるから
帰ってこい」

ボロボロになってもボコボコにされている私に
タオルを投げてくれました。

と言っても、
会社のコントロール、後始末、家の売却、娘のこと・・

全て、自分で動かなければいけませんでした。

会社は 最初の頃は
日本でもコントロールできるかもしれないと
思いましたが

そのころは、オーストラリアのシドニーにも
支店を持ち、任されていたので
ハンドリングは片手間にはできません。

シドニーの会社の方はディレクターを降りる書類にサインをしたり、

NZの会社の譲渡についても引き続き
現地の弁護士や会計士を話し合い、書類を作り、日本に送ってもらってサインをして・・

その間にも提携先のエージェントを飲み込んだ出版社は
私と現地のスタッフの間に入り込み、
引き離そうと、いろいろなプレッシャーをかけてきます。

私のサインが無いと動かせないはずの銀行の口座を
凍結しようとしたり
めちゃくちゃです・・

お客さんは引き続き滞在しているのに
資金を止めたりなど。

会社の譲渡、などは
結局、信用のおける人に話し合いもできず、
(原因はもちろん、例の乗っ取り犯の出版社です)

帰国してからもそれはしばらく続きました。

自分が育てて、いろいろと公私にわたって面倒を見て来た
スタッフたちに、
結局、私の信用に完全にダメージを与え、
裏切るような形に持って行かれました。

おそらく、その人たちはいまだに私のことを恨んでいるでしょう。

風のうわさに、数人は日本に戻ってきたとは聞いていますが
一切の連絡をしていません。できないですよね。

生まれてこの方、人に優しくをモットーに生きてきたので
そういったことを体験するなんて、
あり得ない人生だったのに・・・

帰国して、
再度の検査入院、その合間に上記のようなやり取り。

娘は約2か月ほど実家に預けました。
体験入学で田舎の小学校に行かせました。

この2か月の間
原因不明の38℃から39℃の熱が
毎日続きました。

こんなに長い間熱が続いたのは生まれて初めてでした。

会社の細かいことはここでお話しても仕方ありませんので
この辺にしておきますね。

さて、いよいよ次回
最終回にしようと思います(笑)