Saymeです。
お金にまつわる自分史を
書くのはけっこう難しいです。
もう起きてしまったことですが、
あの時、もっとよく考えてから行動すれば
今頃、家が買えていたのに・・という
人生の岐路なんかがたくさんあって、
思い出していると、情けなかったりします。
でも、書き出してみないと
それすらもわからなかったんだなーって思ったり。
湾岸戦争のおかげでアメリカの経済はガタ落ち、
日本もバブルは終わり、
Saymeが買ったタイの国債もどん底になり、
売らずにそのうち元に戻るだろうと
放置したまま
結婚し、会社を辞め、
海外移住へ。
しばらくは自分の海外での生活が地に足をつけてできるように
必死に努力し、永住権を取得するのに、約2年。
日本での6年弱の勤めでは退職金はほとんどなかったので、
引っ越し代や旅費などは雇い主である会社が出してくれましたが、
住居、向こうで揃えた家具、車、家賃、他生活費は
当面のお給料がまともに出るまでの間、
例の社内預金を充て、それはすっかり消えました。
仕事は
当時日本の総理大臣だった人の不動産屋さんの親戚が買い取った
古いお屋敷を改装したレストランでした。
日本食とその他のアジアのお料理を出すことが決まっていて、
前のダンナさんがシェフだったので、2人一組で
私は女将として、着物を着てそのお店を軌道に乗せるために雇われたのです。
前の仕事を辞める2週間くらい前から、
割烹のお店で夜にバイトをし、(飛び込みです。
よく雇ってもらえたなと今更ながら思います)
そこの女将さんに事情を話し、
着物の着付けの仕方を教えてもらい、海外で仕事をするために
洗える着物や足袋、草履などをたくさん購入し
器の並べ方や、おもてなしの作法など様々な知識を詰め込んで
やってきたのでした。
現地に到着して、びっくりしたのは
準備をするために先に派遣されていた同世代の連中が
リサーチと言ってはあちこちで飲み食いし
経費をふんだんに使いこんで
オープンまでの間に大赤字になっていたこと。
右も左もわからない海外の地で
全てひっくるめて
引き継ぐことになっていたのでした、
オープンする5日前の段階で、到着。
そこから、約8か月。
2人分の最初に契約した額面どころか
全くの【無償】で働くことになったのでした。
オープニングのための宣伝と称して
ラジオコマーシャルを垂れ流し
1か月に数千ドルの広告費用。
→こんなもの、すぐにキャンセルです。
事情を知った瞬間(オープン3日前)から
手書きのビラを作ってコピーし、
町の真ん中の交差点で
従業員として決まっていた3名の女の子(現地の子)にも
着物を着せて、配ってもらい、
オープンしてからも、
旅行会社やお土産屋さんの店頭にチラシ。
その他、最初は夕方からしか開けないと聞いていた
オープン時間をランチもやることに変更。
更に日本人のお土産屋さんやガイドさんへ向けて
お弁当を配達。
更にそのうち気に入ってもらえた旅行会社さんから
ツアーの観光客用お弁当の注文を受け付け
7時出発のお弁当を間に合わせるために
午前4時から作り始めて盛り付け、バスに配達。
そのころにはお酒好きの常連さんもでき
夜中の2時くらいまで盛り上がっているので、
自宅に帰ることもできず、泊り込んだり・・・
とにかくがむしゃらに働き、
永住権も取得し、
約束の2年間で赤字を黒字にすることができました。
最初の頃、ビラだのお弁当だのを配達していたSaymeに
「そんな母ちゃん商売みたいなん、やっても
大した稼ぎにはならんやろうに・・」と
そこの社長にバカにされましたが、
最終的には労働ビザの切れる期限になると
「せっかくここまで来たんやから、今、辞めんでも・・」と
引き止められ、
元ダンナはその社長と別な仕事を立ち上げるのを
手伝いましたが
Saymeは金輪際、ダンナとは働きたくなかったので
契約はそこまで。
そして、永住権は取れたので、
現地で他の仕事をしても問題がなくなり、
当時の人脈で旅行業に引っ張ってもらうことができたので、
女将を辞めることにしました。
この2年間は
おそらく人生の中で一番体を動かして働いた時期かもしれません。
帰るところ、逃げるところがないですからね。
嫌な気持ちになって塞ぎこんでしまったら負けだと思っていました。
そこで、「楽しい妄想タイム」です(^^)
たまの休みに現地の友人の家に招待されたりすると
アンティークで素敵なおうち。
こんな家に住みたいなー、
お庭も大きいし、ワンコも大きいの飼えるし・・・
いいなー。
日本と違って、古い物件を購入しても
自分たちでDIYしたり住みよくして、
とっても楽しそうなんです。
それを生活スタイルに合わせて
子供が増えたら広い家に移り住み、
今までの家はきれいにして、売りに出す。
Saymyもそんな家が欲しい。
買ってみたい・・
と妄想が膨らみます。
日本から最初の2年間は当然ですが、賃貸。
それでも、日本では考えられない安い家賃で
2階建ての2LDKのフラット(アパート?)を借り
ものすごく古い日本車の中古を買い
海外での生活が始まりました。
なので、次は家が欲しいと思ったのです。
さて、
すっかり忘れていた、例の タイの国債・・・
2年間で
どうなったかなー?と調べてみると
買った当時の金額に戻っていました(^^)
300万円です。
そして、日本は円高の時期でした。
つまり、価値が高いので、
予想より大きな価値を持って家の頭金にして、
簡単にローンを組むことができたのです。
その時初めて購入した家は築70年ほどの
150坪くらいの一軒家で、
当時の日本円に換算すると800万円くらいの家でした。