こんにちは Saymeです。
前回まで、
自分の生い立ち、母の嫌いな理由、
そこからの お金についてのネガティブな考え方など
書いてきました。
前回までのページ
アンタのせいでお金がない!と私を責め続けた母の呪文を解いた叔母の一言
ここからは社会人となって、実家から離れ心身ともに独立し、
3年後、自分なりにお金についてきちんと考えられるようになってからのことです。
財テクのお勉強の始まり
入社2年半くらいから始めた社内預金とボーナスの貯金によって約200万円、
2年で貯まった頃のことです。
Saymeの職場でアルバイトをしていた大学生の男の子の就職先が
ある証券会社に決まりました。
それをきっかけに興味はあったものの、
ほとんど知識のない株を知ることになりました。
まず、最初に、ギャンブル性の少ない手堅い電力会社の株を
80万円ほど購入。
バブル時代ということもあり、1年も経たないうちに
2割強ほどあがり、100万円ほどになりました。
お堅い株じゃなくて、ここはひとつ、冒険してみようかな・・と
思ったのは、若かったせいもあるかもしれません。(笑)
もちろん、日経新聞で知識を得るにしても、
決定権は自分ですので、それが正しいかどうかもわからず、
証券会社の友人との会話により、
いろいろと教えてもらい、進められるままに
購入することになったのですが、
株は、(もちろん他も)世界情勢にも大きく影響を受けます。
『ドイツ銀行の株を買ってみる?』とアドバイスをもらったので、
その上がった株を売ったものをそのままドイツ銀行へ。
約3か月後・・・
ベルリンの壁が崩壊し、東西が統一。
ドイツ銀行は約3倍に上がりました・・・
(ほんと昔のお話ですみません・・(笑))
ひゃあー・・・1年ほどで80万円の投資が300万円になったのです。
そこまではとんとん拍子。
20代の若造がそこから再び手堅く・・というのは
ちょっと難しいお話です・・(笑)
さて、その時、
その300万円以外にも、150万円ほどは社内預金にありましたし、
海外旅行に行ったりリフレッシュも十分できます。
Saymeは大好きなニューヨークで大好きな音楽三昧の旅行から
英語圏で生活したいという気持ちが抑えきれなくなり、
アメリカではありませんが、
ある英語圏の国で住むことになり、
そのころ結婚したパートナーと一緒に
会社をやめ、移住することになりました。
株はその話が出る直前に
頭がバブリーな状態で、
まだまだ何でもできるような気になって、
株より国債の方がいいよ、などと、エラそうなことを思い、
タイのお米が日本に流通するようになる・・という世界情勢を
聞きかじり、アメリカドルで買えるらしい・・と聞き
なんだか、カッコいいじゃん・・と簡単な感じで
タイの国債を米ドルで購入。
そして・・・
これも昔のお話ですが、
湾岸戦争勃発・・
これにより、持っていたタイの国債はあっという間に3分の1に・・・
300万円は100万円に逆戻りです・・・。あらら・・
しかし、
実際のところ、もともと80万円から始まったものです。
しかも、それ以降、売ったと言っても、買ったと言っても
現金が目の前にあったわけでも触ったわけでもありません。
なので、ここは売らずにそのうち元に戻るだろうと
ひたすら忘れることにしました。
そして、Saymeは結婚し、会社を辞め、
海外移住へ。
少し長くなりましたので Part2へ続きます・・